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談山神社の蹴鞠

藤原鎌足と 中大兄皇子の出会いは
飛鳥寺(法興寺)のけまりの会で
皇子の靴が脱げたのを 鎌足が拾って捧げた事で
仲良くなったと 日本書記に書かれています。

蹴鞠の歴史は 紀元前300年頃 中国で始まって
日本には 仏教の伝来と共に伝わってきたのもだとか
当時、日本では 最新のスポーツだったのでしょうね!
 
そんな訳で  藤原鎌足の祭られている談山神社では
毎年 春と秋の2回 蹴鞠大会が 行われています。
 
11月3日 楓のきれいな紅葉の中
談山神社の蹴鞠の庭(30m四方位) で 蹴鞠が あり、
たくさんの人達が 蹴鞠を見に来ていました。
 
このユーチューブに掲載されている蹴鞠(昨年の)で 一目瞭然
http://youtu.be/SSP8wXnXPus
 
私は 初めて蹴鞠を 見ました。
お堂のまえの小さな庭が けまりの庭です。

DVC00148.jpg
  8人が きちんと並んで
 各選手?の紹介があって 始まりです。

 
 

解説をしてくださる人によると
 蹴鞠は 勝負が目的のスポーツではなくて
楽しく 長く 蹴り続ける事が 目的
相手が 蹴りやすい“まり”を蹴るのが 上手な人だそうで
 
衣装も 華やか 蹴鞠の時は 冬でも 夏用の服を着用するそうです。
dfbf30eb.jpeg
  まりは 鹿の皮を 裏返して
 馬の毛で 丸く縫って
 中には 大麦が少し 詰めてあって
 触ってみたら 優しい手触りで とても軽い(150gとか)

 水に弱いので 雨が降ったり水たまりがある時は 中止とか
 
始まる時、まりを 蹴り始める人は 位が高い人
いつ終わるかは 決まってなくて
位が高い人が ボールを 手で取った時が 終わりなのだそうです。
 
蹴鞠の大切な3つは
 
音    蹴った時の音が ポーンと 鼓の音のようにきれい
色    右足の親指の付け根で蹴るとボールが回転する
           回転が 速すぎると 相手が 蹴りにくいので
           適当な回転が美しいとされている
高さ  まりを 身長の2倍位の高さに蹴るのが 美しい
 
掛け声は 蹴鞠の精霊の 猿の名前とかで
アリ―  ヤゥ―  オウ―  の3つ
この掛け声で まりが ほどよく飛ぶのを 精霊が助けるのだとか
 
声援も とても 上品でした。
 
同じボールを蹴るサッカ―とは 又 全然違う 蹴鞠は
さすが貴族の遊びですね~とっても 優雅で のんびり??
 
レッドカードや イエローカードなんか 関係ない
良い人間関係を 築いていくスポーツなのですね。
もちろん 勝敗のあるサッカーも
よい人間関係をつくって 世界の平和が 目標ですけど!

DVC00181.jpg
   帰りに まりびとまもり という
  携帯ストラップを買いました。
  かわいい鎌足君です。

  諸芸・スポーツ上達
 人間関係円満 と書いてありました。







 
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談山神社

11月3日(文化の日)談山神社に 蹴鞠を見にいきました!
 
奈良の桜井市の南(飛鳥の石舞台の東)に
多武峰(とうのみね)という山々があって
その中に談山(たんざん 566m)という山があります。

この談山の山頂近くに
藤原鎌足が祭られている 談山神社があります。
DVC00138.jpg
 
 神社と言っても
 鳥居以外は お寺みたいですけど・・





談山の頂上付近に はじめて 建物ができたのは 飛鳥時代で
斉明天皇が 道教の宮として 高殿を 造られたのが始まりだそうです。

その後 678年に 鎌足の 長男の定彗和尚が
鎌足を祭るために十三の塔と本殿を建てたそうです。
DVC00140.jpg
   紅葉した楓の木と 十三の塔
   十三の塔は 始めてみました。
   すごく 迫力があります
 
  
 


談山の隣の山は 御破裂山(ごはれつざん、618m)
御破裂山って すごい名前の山ですね~
きっと 何か訳がある名前みたいですね??
その御破裂山の山頂付近に 藤原鎌足のお墓があります。

説明書きによると 藤原鎌足のお墓は 856年頃
大阪府茨木市にある阿武山古墳から 遺骨の一部が
御破裂山に移されたという説があるらしいです??

3b2c3ec1.jpeg
  神社の裏の
 きれいな水が 流れ出している所から
10分ほど登ると 山頂です。
( とっても きれいな冷たい水が 湧き出ています)





c6d29aca.jpeg

  談山の山頂は
  うっそうとした木々に囲まれた
  小さな広場です
 この岩が目印です。


この場所は 1300年前  飛鳥が 日本の都だった頃
藤原鎌足と中大兄皇子が
当時権力をふるっていた 蘇我氏を倒すために 密談をした場所だとか

DVC00156.jpg
本堂に こんな絵巻がありました。
 ここなら 内緒話に ピッタリ
 誰にも 見つからずに 相談できたのでしょうね~


それで 談山と名前が 付いたのだそうです。
ワッ! 大化の改新のはじまり!!すごい所でしょ!

 藤原鎌足と 中大兄皇子の出会いは 蹴鞠だったとか??  (続く)




 

笑う埴輪

24日 羽曳野市に ある日本で2番目に大きな
応神天皇御陵の 初めての立ち入り調査がありました。

3468ff8e.jpg
  と、言っても
宮内庁が  
  立ち入りを  許可してくれたのは
  古墳を  囲む  堀の外側の
  堤だけだったそうですが

  堤はよい状態で 残っていて
  あちこちに  埴輪の破片等が あったそうです。
    (ヤフーニュースの写真)



応神天皇といえば、堺に日本一の古墳がある 仁徳天皇のお父さんで

時代は AD300年頃の天皇だと言われています。

すごいですね~~1700年以上も残っているなんて
どんな埴輪のかけら?だったのかな?



23日には 奈良県桜井市の 箸墓古墳の 近くにある
4世紀末の 茅原大墓(ちはらおおはか)古墳から

3696e022.jpg
 盾持人(たてもちひと)埴輪と 呼ばれる

 高さ67cm幅50cmの

 兵士の埴輪が発掘されました。

 人物埴輪としては日本最古で被葬者の魔よけ説が・・
 (時事通信の写真)

時代は4世紀後半 今から やはり 1650~1700年前??かな
これも よく残っていましたね。

古代の人の 笑顔が 楽しくて!
思わず 笑ってしまいました。

微笑めば 微笑みかえす 埴輪かな?



明日 27日に 堺市では仁徳御陵などの百舌鳥・古市古墳群を
世界遺産に認定してもらう運動の一環として
世界遺産講演会が 行われます。
日本のミステリアな古代史も いつかは 解明される日が来るのでしょうね。



元興寺の屋根裏探検

わ~びっくり!いつの間に~~

背景が とってもかわいい 紅葉バージョンに
ぼのちゃんいつもありがと~~ございます!
元興寺(がんごうじ)の屋根裏探検に 行ってきました。

先日 朝日新聞に 元興寺の屋根裏の一部が
限定で見学できると載っていたので
応募したら当たりました。

d8fcedba.jpg
 
 小雨の中、当選ハガキを
持って

 ちょっと ワクワク気分で

 
1300年前の屋根裏探検へ




飛鳥から奈良へ遷都する時、宮殿と一緒に お寺も移転したのですが

9c818375.jpg
  元興寺は
 
日本最初のお寺の飛鳥寺が
  奈良に  移転してきたものです。 
  飛鳥寺はまだそのまま飛鳥に残っていますが、
  機能だけ奈良にきたようです
  (元興寺本堂)

かっては
元興寺は 大変大きなお寺で
たくさんのお坊さんの 教育なども されていたそうですが、
今の元興寺は 敷地もせまく 建物も 少しの 小さなお寺です。

でも当時の柱や 屋根瓦が 手が届く所にあって
1300年前に  あっと言う間にタイムスリップできる
あたたか~~~い  なつかし~~い  そんな感じのお寺です。

少し前までは 萩の花が 咲き乱れていたようです。

f3bf88e1.jpg
  屋根裏には 天井が崩れたら大変だからと  
 
少人数づつならんで 頭を打たないようにと
  ヘルメットを
かぶって ライトを持って
  急な階段を
登って上がりました。



上がってみたら 思ったより 天井が
高くて 4室分の広い屋根裏が
鎌倉時代と 昭和の初めに 改修工事もされた部分もありましたが
大半は 1300年前に建てられた 当時のままで残っていました。

e0999275.jpg

   ヒノキって本当に丈夫なのですね~~
   1300年も こんな大きな屋根を 美しく 支えて・・・
  ライトに照らされた天井は
  屋根裏なのに 美しい形に こだわっていたり、
  飛鳥寺と 同じ材木が使われていたり、
  (現代科学で分かるそうです)




若い女性が
説明役で 見学者の中には 建築等のプロの方もいて
その方達の 難しい質問にも  答えておられました。
若いのにすごいな~と

屋根裏を 倉庫の代わりにしたのか?
棺桶や厨子が おかれていたり、 いたずら書きがあったり。
万葉集に 大伴坂上朗女(さかのうえのいつらめ)が

“故郷の 飛鳥はあれど 青丹よし 平城(なら)の明日香を 見らくし好も”

飛鳥寺と同じ風景が ここ元興寺にあるな~いう歌を
この 元興寺で読んだとされています。

元興寺の すぐ側に 飛鳥小学校(地元の小学校)がありました。
わ~~本当に 奈良のこの場所に
1300年前  飛鳥が飛んできたんだな~~と。

詳しくは 元興寺HP    http://www.gangoji.or.jp/

巻向遺跡の 桃の種

去年の秋  巻向遺跡から卑弥呼の宮殿跡か!と
言われるような3世紀前半の再大の建築物の跡が発掘されて

その後、この建築物を取り囲む柵の発掘調査をしていた所
先日建物の南,約5mの所に
楕円形の穴(東西2,2m 南北4.3m 深さ80cm)が見つかって
その中に 2000個以上の 桃の種が そのままの形で 見つかりました。

96355cb0.jpg
   巻向遺跡で 見つかった

   たくさんの 桃の種

       (毎日新聞の写真)

  
 

その穴には 水が溜まっていたそうですけど・・
それにしても  よく保存されていましたよね~~

その他にも 竹の籠?や土器や 木製の剣や
漆塗りの弓 動物の骨等も 出土しています。


ニュースによると 桃の種は他の遺跡からも 出土しているそうですが
こんなにたくさんの 種が出てきたのは初めてだそうです。
本当に こんなに長い間よくぞ残ってくれていました!すごい!
桃って 柔らかい果物なのに  その種って 強いのですね。


桃の種が こんなにあると言う事は

この辺りに きっと桃の木がたくさんあったのかな?
食べないで 保存していたというのは??? 桃の お酒造りとかあ??
古代中国の道教では  桃は不老不死や魔よけの力があるとか

もし巻向遺跡が 本当に卑弥呼の宮殿なら
この桃で 卑弥呼は道教に似た??鬼道をしていたのかな?
それとも巻向は 中国のその頃の話に出てくる 桃源郷だった??

あれこれ 勝手に考えるだけでも 面白くて・・



この時期、まだ お店には桃がたくさん出ています。

当時の桃に近いのは??と見回すと 小さな黄桃が・・・
これよこれ!と買ってきましたが  固くて酸っぱくて・・

100921_095328.jpg 
   よし!籠に入れて

 
  甘くなるように鬼道を しなくては??

   (となりは おいしいカボチャです)

 



邪馬台国に纏向が 王手か?

昨日、大阪は 夕方から 雷がなって 激しい雨風になりました。
そのとたんに 奈良の纏向が邪馬台国!というニュースが速報で 入って

えーーーーやっぱり畿内だったのーーと ガーーン!

もしかして この雷は 邪馬台国のせい?卑弥呼のせい?

奈良県 桜井市の 山辺の道(古代の道)に沿った
卑弥呼の墓かも?と 言われている
日本で 最も古い 巨大な前方後円墳、
箸墓古墳の 近くにある纏向遺跡が
以前から 発掘調査されていたのだけど

そこから 柱の跡や 土器が 次々に掘り出されました。

2c0180d4.jpg  黄色いポールが 柱の跡
 
この 柱の跡を 繋いでみると
  大きな宮室が 3つ 東西に並んでいるのが
  わかるし、 楼観の跡や
  方形に城柵が あったのも わかるそうです。
  (読売新聞の写真)
又 出てきた たくさんの土器を調べてみると
関東から九州までのものが・・
きっと 地方からの贈り物を 入れてきた土器に違いないと。

これらは、魏志倭人伝に書かれている
卑弥呼が住んでいた宮殿の様子と一致するし
土器からわかる年代も 300年頃で 一致する!

20年前に 同じように 宮室 楼観 城柵が 発見された吉野ヶ里遺跡より
年代的にも 卑弥呼に近いと 、
(吉野ヶ里は卑弥呼より100年早いと言われている)

えーーーーーー本当に 邪馬台国ですかあああーーーーー

今年の8月に 用事がてら 箸墓古墳を 見に行ったのだけど
真夏というのもあったけど 大きくて うっそ―としていて
なんだか 男性的????
箸墓古墳
DSCF1104.JPG  私のカン??では
  卑弥呼ではなく 男の大王が
  眠っているような気がしました。


だから これは 卑弥呼の古墳じゃないと思う???と
勝手な事を思いましたけど。
カンより もちろん 発掘調査ですよね。

DSCF1111.JPG
 でも、箸墓古墳は 宮内庁の管轄
 だから 発掘調査は 無理?
 なのかな??


1800年前にあった邪馬台国 そこに 静かに眠っている卑弥呼
幻だった 邪馬台国が 本当に 見つかるのか
嬉しいよーな 寂しいよーな?



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