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藤ノ木古墳の石室特別公開

 奈良・斑鳩町の 藤ノ木古墳 の内部の石室が

特別公開されたので行ってきました。emoji

 

五月晴れ 奈良の風は いつも とても気持ちいい!

緑は輝いて 特に柿の葉がつやつやと美しくて 

花がたくさん咲いていました。

 

よく見ないと 控えめな花だから 目立たない。
 

 

これが 秋には美味しい柿になり

emoji柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺emoji 

斑鳩のマスコット パゴちゃんがお迎えに

パゴちゃんも顔が柿 
帽子が法隆寺の五重塔のてっぺん
名前の由来は  
五重塔のてっぺんをパゴタというからだって!

 

藤ノ木古墳は 法隆寺の西350mにある

直径50m 高さ9mの円墳です。

 

6世紀後半に 作られていて 1985年に調査が始まり

石室内部に赤い石棺が見つかりました!

石棺は近くの二上山の凝灰岩で 作られていて

赤い水銀が 塗られているそうです。

その周りに 素晴らしい飾りの馬具等が

1988年に開棺されて

この石棺は 一度もあけられてない事が分かり

当時のままに 埋葬された2人の人骨と

その周囲には きらびやかな装飾品が・・
  
   (復元品)

 

こんなに美しい装飾品が あるのに

字が どこにも書かれてなくて??

埋葬されている人が 誰なのかも不明

 

でも 最近の科学は すごい!

2人の若い男の人達だと わかったそうです。

大王の墓の前方後円墳ではなく 円墳なので

きっと二人とも 同じ時期に亡くなった王子様ではと

 

この美しい装飾品の鳥や木や花が装飾されている冠は 

アフガニスタンで発掘された冠(紀元前1C)に 
そっくりなのだそうです。


 

斑鳩は1400年前は 私達が考えるよりずっと

国際色 emojiemojiemojiemoji豊かな所だったのかも・・

斑鳩文化センターが古墳のすぐ近くにあって
出土したレプリカなどが展示
ボランテァの方々が いろいろな質問に
とても親切に答えてくれていました。emoji

  

石棺の中には 青いガラスのビーズや 銅に金がメッキされた

首飾りなどの玉もたくさんありました。emoji

男性2人なのに女性のもののような 埋葬品ですね。

日本の古代史は まだまだ わからない事ばかり

 


 

その後 聖徳太子に建立されたと言われている

木造建築では 世界最古の法隆寺は 
よく手入れされて 
とても 美しいまま

五重塔は バランスが 素晴らしいな~
  
 

素敵な松の参道を通って帰りました。
 

あ~連休も 終わりですね。

私は 工事等があって 家を空けられなくて

藤ノ木古墳のハイキングだけでした。

昨日は 立夏 いよいよ暑くなりそうですね。



 
 

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西の京

やっと 気持ち良い 涼しい風が吹いて秋らしくなりました。
車ばかりで めったに歩かない主人が
珍しく ハイキングに行こうというので 
奈良に 行くことにしました。
それも 坂道のない所というので
西ノ京から平城京までを 歩く事にしました。

西ノ京というのは 平城京の西側の事です。
薬師寺や唐招提寺などの 世界遺産があります。 

1300年位前を ちょっと想像しながらって
楽しいなと・・天武天皇は いるかな??emoji
          
emoji薬師寺は奈良では法隆寺に次いで古いお寺ですが
戦国時代に 東塔を残してすべてやけてしまって
今も建て替えられています。

emoji薬師寺本殿
 

 emoji唯一焼け残った 東塔
 
 
emoji西塔 塔頂のemoji水煙(すいえん)が一般公開されていました。
 
これは 避雷針にもなるのだそうです。

天人が 雲の間で舞う彫刻がされています。

きれいですね~
 
復興される西塔の完成は 7・8年後のようです。
完成したら 行かなくちゃemoji 

台湾の1000年のでっかい檜が 西塔の材料としてつかわれるそうです。

 
本堂でお坊さんの講話を 聞く事ができました。
仏教の目標はemoji“身心安楽” emoji
身体の病気も 心の病気もemoji薬師如来様emojiに治していただきましょう。
薬師如来様はお医者様で日光・月光菩薩様は看護婦さん、と。

emoji心の病というのは 思い通りにならないからと 悩むからなるのです。
さっぱりと あきらめる事も大事 自分の受け止め方も変わります
お寺は心の吊革 こけそうになったらお寺にぶら下がってemojiと。

仏教は わかりにくいのに 本当にわかりやすいお話でした。 emoji

主人は写経のセットを 購入していました びっくり! emoji


emoji唐招提寺(唐から招いた鑑真和尚がここで教えておられたとか) 

シックな 自然の中に溶け込むような 本当に美しいお寺です
倉庫の屋根の天平の甍も 美しくて・・

鑑真和尚様は日本からの熱心な招きに応じて 5度の航海の失敗の後
やっと6度目に 日本に来られた時には失明されていたそうです。

emoji唐招提寺の奥には 鑑真和尚様の御廟がありお参りしました。



emoji平城京は せんとくんが 遣唐使船の前でお出迎えしてくれています。



emoji南の朱雀門
 

emoji北の大極殿

この間は 南北 一直線に 800mほどあるのですが  
まだ発掘や整備中で ススキの野原です。
広々して 清々しくて 本当に きれいでした。emoji

薬師寺http://www.nara-yakushiji.com/

唐招提寺 http://www.toshodaiji.jp/

平城京 http://heijo-kyo.com/

伊勢外宮の遷御の儀

5日に 伊勢神宮の外宮でも 遷御の儀が 行われました。 

(伊勢新聞の写真)
向かって右の古いお宮から 左の新しいお宮に お引越し
 
内宮の遷御の儀と ほとんど同じ行程だったようですが
天の岩戸伝説からきたという 
内官が行う 出発の合図の 鶏の鳴き声 の
 鶏鳴三声(けんめいさんせい) が 

内宮は カケコー カケコー カケコー
外宮は カケロー カケロー カケロー  

 

外宮に 祀られているのは 
内宮の 天照大神が 一人ではさびしいからお呼びになったという
豊受大神(とようけのおおみかみ)ですが
運ばれるご神体は なんなのか? わかっていません。

調べてみたのですが おおきな勾玉?鏡?石?等々
結局は わからなくて。

どうして 内宮は八咫鏡と みんな知ってるのに
外宮は 秘密なのでしょうね?
ただ 子供の頭位の大きさだとか

私の想像ですけど もし石なら 隕石とか??
これも 私の かってな想像ですけど
天照大神が卑弥呼で 豊受大神が台与??
台は ”と” とも 読みますから  邪馬台は ”やまと” と読むかも?


20年に一度 引っ越しをするというのは
使われた檜が 20年たつと 香りなどがなくなったりして
新鮮さを欠くからとも 言われています。
だから 新しくリフレッシュした 木の香りが漂うお宮に引っ越し。

20年毎に 作り替えるために
200年先まで見通して 近くの山で 檜が育てられています。

20年毎の遷御の儀で 永遠に新しい状態が 続いていく
というい 考え方は 本当に 素晴らしいと思います。
石の文化では 考えられないかも・・

宗教には ほとんど 終末論がありますが
八百万の神様がいるという 神々の住む国 
日本の宗教には 終末論はありません。

遷宮の儀等で emoji持続可能(sustainability)な 神の国emojiとするのです。
神々の住む日本の国を サスティナブル カントリーと 訳されていたとか・・

日本では 伊勢の神様は いつまでも いつまでも  ヒノキの香りのただよう 
気持ちの良いお宮にお住まいになって いただくのです。

伊勢神宮 遷御の儀

伊勢神宮で 1300年前から 20年に一度行われているという
遷御(せんぎょ)の儀(お引越し)が 内宮は2日の夜 行われました。
今年で 第62回だそうです。 外宮は 5日に行われます。
 
古いお宮から 隣にできた新しいお宮に  
ご神体の八咫鏡を 移すのです。 
  
( 八咫鏡の複製)

このお宮は 地面に1m位の穴を掘って柱を立てて
分厚い茅葺の屋根を 1千木や鰹木で止めた
唯一神明作りという古代の様式だそうです。

 
(朝日新聞の写真) 
  手前のお宮から 奥の新しいお宮に
 
  真っ暗闇の中 松明や提灯で足元を照らしながら 
しずしずと 鉾・盾・弓・太刀を もった神官 
榊を 持った神官 笛などで 音楽を 奏でる神官 勅使 
祭祀 等 150人位の人たちに 守られて

(臨時祭祀の黒田清子様)

箱に入ったご神体は
絹垣(きんかい)という白い絹で 周りを囲まれて
見えないようにして 

古いお宮から出て 階段を降り 隣の階段を上がって 
新しいお宮へと、運ばれました。
 
遷御に招かれた3千人の人達は 暗闇の中 
松明の明かりくらいしか ほとんど何も 見えなかったようです。
玉砂利をサクサクと歩く音や 笛の音などが 聞こえたそうです。
1300年前と同じ雰囲気・・・
 
でも、テレビのカメラは 高感度のハイビジョンだったので 
テレビでは これを 見ることができました。

天照大神はemoji太陽のような神様なのに
なぜ こんな 暗闇の中を 秘密のうちに 運ばれるのかな?と
不思議な感じかします。
神様だから 恐れ多いから・・ 一般の人間は 見てはいけないのかな?
これが 日本の文化の元なのかな?

お宮に おさめられている 宝物なども  全部が
新しく 作り替えられるのだそうです。
神様に その時代の最高の技術で と・・
宗教の芸術って 世界中どこも 素晴らしいけど
日本も 本当に 素晴らしいと 思います。
最高の お・も・て・な・しの精神かな。
 
(宝物のお馬)


3日の朝5時に 一般参賀が 開始されて
たくさんの人たちが 新しいお宮に お参りをしました。
神様の事を よく知らなくても お参りする
これも 日本の文化なのかも?

伊勢神宮遷御の儀
http://www.sengu.info/index.html

出雲大社の遷御は 今年の5月10日だったそうです。
http://www.kankou-shimane.com/sengu/


多治速比売(たじはやひめ)神社

15日に 堺の歴史を歩こう会の友達と
堺の泉北にある 多治速比売(たじはやひめ)神社に行きました。
 
荒山(こうぜん)公園という とても広い公園には
今 梅の花が 満開!
春ですね~~



梅の木を 数えた人がいて 1340本もあるとか
梅の種類も 50種もあるのだそうです。
よく見ると それぞれ違う花が 咲いていて びっくり!
 
梅の花って 本当にきれいで 可愛くて 清々しい。
小鳥達の さえずりがあちこちから 聞こえてきます。
 
荒山公園の真ん中の高い所に多治速比売神社があります。
 4e87fd81.jpg
  ワッ!かわいいね~ きれいね~
  (クリックして アップして 見てね)
  お姫様の神社って感じだね~と
  見とれる位 素敵な神社です。
 

昔むかし この荒山一帯は 須惠器の村といわれていて
須惠器を焼くための たくさんの窯が あったそうです。
村の安全を守る?ための 祠が 最初にあったらしくて
その場所に 神社が 530年頃に
創建されたと 書いてありました。
 
本殿は 室町時代に再建されて 国の重要文化財に
指定されています。
 
堺市観光ガイドの方の説明によると
三間社入母屋造りで 正面に千鳥破風があり
大きな向拝うんぬん・・・ちょっと 私には難しい・・・
 
各所に いろいろな 彫刻が掘られていて
特に珍しいのは 向排の手挟の 透かし彫りの中の
芭蕉(バナナのような葉)とカマキリの彫刻だそうです。
カマキリは 他に例がないそうです。
 
お願いしたけど 本殿の中には 入れてもらえなくて
直接 見る事は できませんでした。


これは ネットに掲載されていた写真です。
芭蕉の葉の上に かまきりが いますね!
詳しくは このHPで 見てね。
 
http://www1.ocn.ne.jp/~tajihaya/
 
多治速比売(たじはやひめ)とは
日本武尊の奥さんの 弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)のことで、
日本武尊の東征の時 同行
浦賀水道の海が荒れ狂ったので
海神のたたりを鎮めるために入水して
海は静まったのだそうです。
 
わ~~~~犠牲になって死ぬなんて すごい!
入水する時には 有難うという歌を 詠んだそうです。
そんな奥さんがいて 日本武尊は 本当に 幸せな人でしたね~
 
日本武尊は 遠征中 伊勢で亡くなり 白鳥になって 大和に帰ったとか
堺の 大鳥神社には 日本武尊が祭られています。
この多治速比売神社から 近い所です。
 
古事記に詳しい人によると
日本武尊には 奥さんが 20人以上いたとか・・
今の時代だったら 女性団体に 吊るし上げられるかも ・・等など
古事記の話や 昔は良かった男達の話等 おしゃべりしながら
清々しい梅の中を 散歩しました。





履中天皇陵

すかっ晴れの16日 近くの人達と 履中天皇陵に行きました。
履中陵は 仁徳御陵のすぐ側(徒歩10分位)にあります。
こんなに近いのに 私は 履中陵に行ったのは 初めてです。
 
わっ!きれい~~大きい~~
これが 私の 第一印象。
濠は 広くて 全体が 見渡せて 広々した感じで
周囲も きれいに整備されていました。
町の中に 美しい島があるみたい!
 
履中陵は 日本で 3番目に 大きな御陵だそうです。
今は 一重のお濠ですが 当初は ニ重濠だったそうです。
古代天皇御陵のお濠は ニ重が 普通だとか

 
これが 古墳の真ん中当たりのお参りをするとこで
天皇の鳥居は 横の下の柱が 突き抜けていないのが 特徴だそうです。
昔は 鳥居はなかったそうですが
天皇が 神格化された明治時代に 建てられたのだそうです。
 
堺には 4世紀後半~5世紀前半に造られた
3つの 大きな前方後円墳が 並んでいます。
1600年以上も前なのに 今でも 立派に?残っています。
器械もない時代なのに 人の力で作られて
本当に 素晴らしい土木技術ですよね~~~
 
仁徳天皇の時代の日本の都は 難波の高津宮にありました。
大阪平野の上町台地の北の端の当たりです。
だから 上町台地の延長線上の 堺の高台にお墓を作ったのでしょうか?
 
真中は16代 仁徳御陵(全長486m) 在位 西暦313~399(86年?)
南に   17代 履中天皇陵 (仁徳の長男)在位 西暦400~405(5年?)
北には 18代 反正天皇陵(仁徳の三男) 在位 西暦406~410(4年?)
 
当時は この3つの古墳が 堺港から 見えていたそうです。
(海外から船で来た人達へ すごいでしょ!ってアピール??)
 
詳しくは 堺のHPで見てね。
http://www.city.sakai.lg.jp/city/_rekibun/mozu/about/index.html
 
 
みんな素人なので 困った質問ばかりでしたけど
ガイドの方が 優しく説明してくださって。
 
仁徳御陵より 履中陵が 古いとか ききましたけど??
そうです。お墓は 宮内庁の管轄なのですが 掘りは市役所の管轄なので
  外側は 調査できるのです。 考古学的には 古いという調査結果です。
 
 お父さんの方が新しい??
  そういう事もありえます・・・ まとめて お墓をつくっておくとか???
 
  なぜ?お濠だけ 市の管轄なのですか?
  ・・・・
 
 石棺はどこに?
 空から調べたら 円の部分と 方の部分に 2つあるようなのです。

最近の考古学は 空から レーザーとか使って 内部を見たり
とても 科学的になったそうです。
そいうえば、ツタンカーメンも DNAで 調査していました。
  
 誰の??
 わかりません・・
 
  じゃ なぜ 履中御陵なのですか?
明治の初めに 宮内庁が 決めたようです。
 
  家来は 生き埋めにされたのですか?
 この時代には 埴輪が主だったでしょう
 よかったね~~よかったね~ 生き埋めじゃなくて。
 
仁徳の次男のお墓は?という質問に
 
ガイドの方は こんな話を

古事記によると (わ~~古事記だって!
次男(住吉仲皇子)は 兄(履中)の彼女を 横取りして
バレないように 高津の宮に 火をつけた悪い人で
兄の履中天皇は 危険を感じて 奈良・桜井の石上神社に 逃げました。
そして 三男の水歯別命(後の反正天皇)に 次男を殺させたのです。
え~~~~~~~~兄弟で 殺し合いですか!
三男は 次男を 殺さなければ長男に信じてもらえなかったとか!
最近も なんか こういうニュースがあったような????


水歯別命(みずはわけのみこと)変な名前ですね?
反正天皇は 歯がきれいだったので水歯別命と呼ばれたらしいです。
 
反正って 正しいの反対だから 悪いんじゃないのですか??
 違います 悪いのを反対にして 正しくした天皇という意味です。
 わ~~そうなんだ!
 
そして 殺された住吉仲皇子の墓は 近くのニサンザイ古墳という説もあるのだとか?
 
謎だらけの 古代だけど
富や 権力の奪い合いとか 女性の奪い合いとか
昔から 兄弟でも 争いが 絶えなかったのですね~~
同じ母(磐之媛命―いわれのひめのみこと)から生まれた兄弟なので
お母さんは とっても 悲しかったでしょうね。
 
堺の巨大古墳の後は 大王が 巨大な古墳をつくる事はなくなったそうです。
仏教の伝来等で時代が 変わっていったのですね。


 
履中陵の 紅葉した雑木林の中には きっと たぬきが 昼寝してるかな?
カラスが ツヤツヤと 秋晴れの空に 飛んでいました。




 


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