今日から12月 今年もあと1ヶ月になりましたねー
風邪ひかないように 元気で楽しくすごそうね。
11月29・30日に 仁徳天皇陵の近くにある
“御廟山(ごびょうやま)古墳”が一般公開されました。
宮内庁管轄の古墳に入れるのは初めての事なので私も昨日行ってみました。
抜けるような青空で、大仙公園の紅葉がすごくきれいでした。
仁徳天皇陵一帯の古墳群は百舌鳥古墳群と言われています。
古くは100以上の古墳があったそうですが、今は47の古墳が残っています。
御廟山古墳は その中で 4番目に大きな古墳(全長186m)で
御廟山古墳は仁徳の父、応神天皇か、お妃の可能性があるとして
宮内庁の管轄となっています。
仁徳御陵(5世紀)より少し古いそうです。
(現在は応神天皇陵は羽曳野にある古墳と言われています)
御廟山古墳の一部が浸水によって壊れてきたので
護岸整備工事を行う準備として
宮内庁と堺市が共同で10月から一部を発掘調査をしています。
読売新聞の写真、濠に橋が架けられています。
右のくびれ部分のでっぱりが 造り出し部分です。
鴨や鷺がいる大きな濠に、臨時にかけられた橋を渡ると
今は木々に覆われて 雑木小山?のようになった古墳で、
大きな楠木ものびのびと茂ってたくさんの小鳥達が騒いでいました。
(
小鳥達はやけに騒がしいねとか?騒いでいるようでした)
外周を半周するアルミ製の廊下?みたいなのが作ってあり
そこを歩くだけなのですが、すごく面白かったです。
御廟山古墳(後方)
前方後円墳のくびれの所に 造り出し部分という所があって
説明の方が ここで祭祀をやっていたと思われますと、
その部分が壊れていて、古い時代をむき出しにしていました。
ここを見ると古墳が3段のピラミッドだというのがよくわかります。
説明の方がこの古墳はきちんとした設計図に基づいていますと。
斜面には 葺(ふき)石が並べられていたのでしょう。
丸いこぶしより少し大きい石がゴロゴロ転がっていました。
テラスといわれる階段の上の部分には 埴輪が並べられていて、
埴輪のかけらも散らばっていました。
埴輪は円筒はにわと言う、直径が30cm位の円柱のはにわと
形状はにわという家や動物の形をしたはにわです。
一部を堺市博物館に展示してありました。
堺に来てからは緑や山といえば、古墳。
とても 身近な存在になってはいたけど、
ここまで近づいたのは初めてです。
1600年を一気にさかのぼって
本当にタイムスリップしたみたいでした。
古墳は 小さな太古の森って感じですね。
大きな楠木がのびのびどっしりでした。
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